2021.0602
まとめ
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「オンライン研修時代に対応して人材開発部はどのように変わればよいのか?」、これは多くの人材開発担当が自問する問いでしょう。
ATDが2020~2021年に出版した以下の5冊の本は、従来の流れと一線を画しています。これらの本では、ATD Awardを受賞した米国企業の実践事例やデザイン思考を取り入れた新しい設計開発モデルが紹介されており、人材開発の大きな潮流を考えるうえで有益だと思います。
わずが5冊でそこまで言えるのかというご指摘はあると思いますが、独断と偏見で整理すると、図1のようになります。
つまり、今起きている人材開発の変化は、①事業戦略と学習の組織的な連動、➁人材開発の支援スコープの拡大、③学習の設計開発の変化、④学習者の学び方の変化の4つだと思います。
図2はこの4つの潮流の背景にあるL&D(人材開発部門)を取り巻く主要な変化と関係者の期待を整理したものです。
図2の「経営の4つの変化」と「学習者の4つの変化」はよく言われていることだと思います。一方で、図2の「経営の期待」と「学習者の期待」は各企業によって少し違う部分があるかもしれません。
それでは以下、図1の4つの潮流について順を追ってみていきましょう。尚、図1~10はいずれも原書にはなく、独自に作成したものです。あらかじめご了承ください
大きな潮流の1つ目は「事業戦略と学習の組織的な連動」です。一言でいえば、戦略実行に必要なスキルギャップを事業部と人材開発部門が一緒になって明らかにし、解消していく事例が増えているということです。
これは過去25年以上言われ続けていることですが、KPMGは図3のような組織的な取り組みをしており、進化を感じさせる事例です。
KPMGでは、図3のように事業部の戦略立案時にTD(Talent &Development)部門のBP(ビジネスパートナー)が事業責任者の感じている「スキルギャップ」を確認することを定例化しています。
そして、明らかになったスキルギャップを採用で満たすのか、学習で満たすのか判断したうえで学習施策を立案し、この時点で予算化されます。施策の実行後にはその成果を報告し、最後にTD部門の貢献度を事業部が評価するという一連のプロセスが定着しているのです。
つまり、学習施策は事業戦略の一構成要素として、パフォーマンス・コンサルティングが組み込まれているだけでなく、学習部門の事業への貢献度がしっかりと評価されるサイクルがまわっているのです。
Qualcommの元CLO、Elkelesは、四半期ごとに事業部の優先事項を5つ確認し、年度当初に立てた学習施策を定期的に見直していたそうです。
Forward-Focused Learning (2021, ATD)やLeading the Learning Function (2020, ATD)では、HPやGEなどの事業戦略と学習を連動させる実践事例を多数見ることができます。
ATD Webcast動画:Forward-Focused Learning
KPMG, HP, Shell, Ford, Comcastなど、ATD Awardを受賞したことのあるCLOがビジネスに貢献する学習部門のコツをまとめた本。
わずか160ページの薄い本だが、米国のやり手のCLOが何を考えて実践しているのか窺える。
内容は非常に濃く、人材開発責任者にお勧め。
IBM, UPS, Accenture, Deloitte, Tableau, Hilti, Delta Air lineなど約60社の実務家がATD Forumで実践事例を共有してきた内容をもとにまとめた一冊。
最近のトピックに対応した24の実践事例がわかるので、非常に興味深い。
図4は元CaterpillarのCLOだったVanceのMeasurement Demystified(2020,ATD)を参考にして作ったものです。事業計画策定時に「戦略に直結する学習」と「戦略に直結しない学習」に分け、それぞれの学習コースに対応する適切な指標・目標値・報告形式を提案し、事業部の幹部と合意を得たら月次で進捗報告するというプロセスです。
Vanceの著書の中では、すぐに取り入れることができる多数の人材開発指標や報告書の例を紹介していますので、本当に参考になります。
このVanceの提案は、指標を活用して研修単品の効果測定をしようというものではありません。事業計画の達成のために設定した学習コースがどの程度予定通りに実行されているのか、役に立っているのかを進捗管理する、マネジメント発想に基づいています。
参考リンク:事業指標と研修指標と人材開発部門の経営
ATD Webcast動画:Measurement Demystified
以上から、事業戦略と学習の連動が掛け声だけでなく、組織だった仕組みに進化し、学習が事業のPDCAにしっかりと組み込まれていることがわかると思います。
「事業指標-研修(人材開発)指標-人材開発部門の経営」の3つを連動させて解説している。
全部で図表が約200あり、120の指標例、多数の報告書の具体例を示しているので、自社でどう活用するのかイメージしやすい。
大きな潮流の2つ目は「人材開発の支援スコープの拡大」です。一言でいうと、単発の研修で終わらず、学習者が職場で実際にスキル活用するところまでを設計範囲とする事例が増えているということです。
ラーニングジャーニーがよい例ですが、単発イベントとしての研修を否定し、職場での学習転移を促進するところまでを人材開発の支援範囲に入れた事例を多く見るようになりました。
図5はBoller & FletcherのDesign Thinking for Training and Development (2020,ATD)で紹介されているラーニングジャーニーの設計モデルを単純化したものです。ご覧のとおり、4つの段階と6つのステップで整理しています。
図5を見てわかるように、事業にとって本当に必要なことは学んだことを職場で発揮できるように「記憶とコンピテンシーを強化し」「維持」していくことです。図5の6ステップでいうと、「4.学習したことを反復し、記憶を定着させる」「5.実践したことを内省し、改善点を探求する」「6.高めたスキルレベルを維持し、継続する」ことが重要なところです。
ATD Webcast動画:Design Thinking for Training and Development
参考リンク:ATD2019報告 研修転移の進展-ラーニングジャーニーとチャットボット
Hilti North Americaの事例では、リーダーシップ教育のラーニングジャーニーは成功したようですが、マーケティング教育のラーニングジャーニーは現場の協力が得られずにうまくいかなかったそうです(Leading the Learning Function, 2020, ATD)。
当然ではありますが、ラーニングジャーニーは万能というわけではなく、相性のよい教育分野がありそうです。また、各社の現場の状況にも左右される部分が大きいかもしれません。
ラーニングジャーニーのモデルとワークシート、学習経験設計のフレームと経験マップテンプレートなど、とにかく実務に使えるツールを多数紹介している。
家庭で患者本人が透析できるように、医療機器の操作方法を患者に教えるラーニングジャーニーの事例はとてもわかりやすい。
ラーニングジャーニーをカークパトリックの4レベルで言えば、3レベルの行動化を最初から設計することと言えます。実は、カークパトリックの新4レベルも同じことを言っています。
参考リンク:研修効果測定のカークパトリックの新4レベル
実際に学んだことを職場の実務に活用するところまで支援しようと思えば、あらかじめ職場での学習経験についても最初に設計するということになります。
ここでいう学習経験の中には、図6のように同僚同士がチャットなどで教えあったり、上司に対面で教えてもらったり、自分でいろいろと調べたりといったさまざまな学びが含まれています。
もうひとつ補足です。職場での実務を通じた学びが70、上司やメンターに教わる学びが20、人事の制度的な学びが10という「70:20:10の法則」を聞いたことがあると思います。これにあてはめると、いわゆる「10」の研修だけでなく、「70:20」の部分も積極的に設計するようになっているということです。
多様な学習経験を用意するという考え方は、研修イベントの事前・事後の仕掛けを考える研修転移が発展したものと言えるかもしれません。とはいえ、研修転移はどこか研修イベントを中心とした発想があるような気がします。
参考リンク:研修転移のモデルと事例をみてみよう-6Ds
その一方で、ラーニングジャーニーでは学習者の職場での活用が最初のうちは失敗することも含め、学習者が試行錯誤することを織り込んだ設計をし、学びをストーリー化するところに違いがあると思います。
大きな潮流の3つ目は「学習の設計開発の変化」です。一言でいえば、事業と学習者を従来よりも深く理解して設計し、スピーディーに学習経験を開発して提供するということです。
たとえば、デザイン思考を取り入れて学習者のペルソナを重視し、多くの学習経験をストーリー化するモデルが増えています。図5でみたBoller & Fletcherのラーニングジャーニーの設計モデルもそのひとつです。
Boller & Fletcherはデザイン思考のプロセスとインストラクショナルデザインのプロセスを統合したモデルをつくっています。ご関心のある方はぜひ原書を確認してみてください(Design Thinking for Training and Development, 2020,ATD)。
ラーニングジャーニーのモデルとワークシート、学習経験設計のフレームと経験マップテンプレートなど、とにかく実務に使えるツールを多数紹介している。
家庭で患者本人が透析できるように、医療機器の操作方法を患者に教えるラーニングジャーニーの事例はとてもわかりやすい。
図7のKadakia & Owens, Designing for Modern learning (2020, ATD) の OK-LCDモデルもデザイン思考を取り入れた代表的な例です。図7の上半分は5つのアクションのアウトプットイメージを整理したものです。
図7を少し補足すると、「戦略連動パフォーマンス目標」というのは、事業戦略で定めたKPIの改善に必要な実務行動を学習目標にするということです。
学習者のペルソナ重視は先に述べたとおりですが、ターゲットの従業員が多い場合はさらにセグメントし、セグメントごとにペルソナを設定して適切な学習経験を提案しようと言っています。
アップデートは既存の学習資産を有効に活用し、現在の学びに合うように手を入れてスピーディーに開発するということです。
学習クラスターはOK-LCDモデルの最も特徴的な考え方です。図6で見たように学習経験は従来のような対面クラスやeラーニングに限らず、同僚同士で教えあうことなどさまざまな学びを含むため「学習クラスター」という言葉を使っています。
図7の下半分は従来型の学習設計とOK-LCDの設計の考え方の違いを示していますが、潮流の2で述べたことがかなり反映されているのがわかると思います。
OK-LCDモデルそのものは下記リンクをご参照ください。
図8のように、Kadakia & Owensは、学習クラスターは現在の人材開発担当の悩みを解消する考え方だと言っています。
図8の人材開発スタッフの悩みをご覧いただくと、「あるある」という感じではないでしょうか。
イラストが多く、用語定義、原理原則を最初に整理したうえで具体的な設計プロセスを解説している。
180ページくらいで読みやすく、ワークシートなどのテンプレートも多い。新しい研修設計方法に関心のある方にお勧め。
原書の中では、Boller & FletcherもKadakia & OwensもADDIEの限界を指摘して新しい設計開発モデルを提案していますが、具体的な学習コンテンツの開発部分ではインストラクショナルデザイン(ID)の知見を活用することが前提になっており、説明を省略しています。
つまり、インストラクショナルデザインの知見を使って学習経験をつくることが大前提になっているわけで、ID不要ということではありません。
学習の設計開発の変化、スピーディーに開発するという面では、Agile開発の考え方を取り入れた事例が増えています。
たとえば、IBM Global Sales Schoolでは、4万人の営業・技術担当を対象にクラウド&AI営業に必要な378スキルを教えるために、既存の教材をベースに56ケースの動画教育やマイクロラーニング、アセスメントツールなどをわずか2か月で開発しています(Leading the Learning Function, 2020, ATD)。
既存の教材をアップデートし、今の学習者にフィットするように動画コンテンツのプロトタイプをつくっては試し、そして修正するというサイクルをまわす、そんな開発がふつうになっているようです。
大きな潮流の4つ目は「学習者の学び方の変化」です。一言でいえば、ネット情報を調べて自己完結する学習者、オンライン上で他者と学ぶ人が増えているということです。
これもよく言われていることですが、Kadakia & Owensは現在の忙しい学習者の学び方にフィットする「学びのタッチポイント」や「現代の学びの9つの要素」を明快なモデルとして整理し、学習経験の設計のヒントを示したところが注目すべき点です。
図9はKadakia & Owensが具体的に学習クラスターを展開するときの3つのタッチポイントを示しています。
「タッチポイント」を言い換えると、「学びの場」といったものになると思います。現在の学習者は「研修に参加して学ぶ」だけでなく、かなりのことを「自分で調べて」学んでいますので「すぐ調べてわかるまでのスピード」が大事になります。
つまり、オンデマンドの動画学習コンテンツや業務関連コンテンツのキュレーションなど、自己学習をスピードアップするための学習環境の整備が必要ということになります。
さらに、上司や同僚とネットでもつながりを感じて学べる環境を整備することが重要です。たとえば、従業員の学習経験に対するコメントなどに対して「いいね」や「絵文字」などのフィードバックやコメント、レイティングなどができることが大事になっているわけです。
Kadakia & Owensはラーニングジャーニーのような学習経験のストーリー化までは求めていませんが、ペルソナごとに意味のある学習経験をタッチポイント別に用意することを提案しています。
図10はKadakia & Owensがあげている「現代の学習に求められる9要素」です。既存の学習コンテンツや研修を見直すときのチェックリストとして使えるようにワークシートをつくっていますので、ぜひ原書をチェックしてみてください。
Kadakia & Owensの本は180ページくらいで読みやすく、ワークシートなどのテンプレートもついているのでお勧めです。
イラストが多く、用語定義、原理原則を最初に整理したうえで具体的な設計プロセスを解説している。
180ページくらいで読みやすく、ワークシートなどのテンプレートも多い。新しい研修設計方法に関心のある方にお勧め。
以上みてきた潮流は過去のATD報告会で聞いたことばかりだと思います。重要なことはそれらが単なる概念レベルではなく、実践的なモデルや設計テンプレートがつくられ、具体的な実践事例がATD Forumなどで共有され、本として出版される段階に入っているということです。
「オンライン研修時代に対応して人材開発部はどのように変わればよいのか?」という問いに対する答えは、最終的には各社で見つけるしかありません。
とはいえ、現時点で議論の好材料となる事例やモデルがかなり出てきていると思います。ぜひ、ご関心のある原書をもとに人材開発部内で議論してみてはいかがでしょうか。
ヒューマンパフォーマンスはパフォーマンス・コンサルティングを実践します。
人にかかわる施策、人材開発と事業戦略の連動性を高め、業績向上に貢献することがテーマです。研修効果で悩んだことがある方には有効なフレームワークです。人材開発のあり方や研修の見直しを検討されている人材開発担当の方におすすめです。
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鹿野 尚登 (しかの ひさと)
1998年にパフォーマンス・コンサルティングに出会い、25年以上になります。
パフォーマンス・コンサルティングは、日本企業の人事・人材開発のみなさまに必ずお役に立つと確信しています。
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